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華麗なる一族
山崎豊子原作、橋本裕志脚本、福沢克雄演出。木村拓哉主演。
木村の主演と豪華キャスト、セットの投入で注目され視聴率が話題になった。
15日、ビデオリサーチの調べで分かったが、14日放送の初回視聴率が関東地区で平均27・7%(関西地区30・5%)を記録。
1月スタートのドラマではNHK大河ドラマ「風林火山」の21・0%を6・7ポイント引き離し、注目度の高さを証明する。
初回は、1960年代後半の神戸。万俵鉄平(木村拓哉)は阪神特殊製鋼の専務を務める。
父・万俵大介(北大路欣也)は、関西有数の都市銀行のオーナー頭取。
毎年正月を、美しい英虞湾を見渡す高台に立つ豪華な志摩観光ホテルで万俵家は過ごすことになっていた。
父・万俵大介(北大路欣也)を中心に、
妻の寧子(原田美枝子)、
大介の銀行で貸付課長をしている二男の銀平(山本耕史)、
嫁いだ長女の一子(吹石一恵)、
長女の夫で、大蔵省主計局次長・美馬中(仲村トオル)、
大学を出たばかりの二女、現在花嫁修業中の二子(相武紗季)、
鉄平の妻・早苗(長谷川京子)、
そして、妖艶で聡明そうな女性、高須相子(鈴木京香)
彼らは、長男の鉄平を待っていたが・・・
本題はこの回のドラマの舞台である。
この志摩観光ホテルは、伊勢志摩国立公園の景勝地、賢島の高台にある。
〒517-0593三重県志摩市阿児町賢島
TEL:0599-43-1211 FAX:0599-43-8870
チェックイン:14:00 チェックアウト:11:00
交通アクセス:近鉄志摩線賢島駅から徒歩で5分
駐車場:有り (70台 無料 /1泊)
華麗なる晩餐 「鮑ステーキ」をラ・メールで夕陽とともにプランみると、
あご湾を望むツインルームに夕朝食付の料金:1名利用時 32,000円 /人、2名利用時 27,000円 /人、3名利用時 26,000円 /人 くらい。3月31日までの期間限定。
このホテルは、天皇も泊まられたいう、真珠養殖の浮かぶ英虞湾を見下ろすことができる眺望に恵まれた近鉄系のリゾートホテルだ。
伊勢志摩の海の幸を素材としたフランス料理は、世界的にも有名。鮑ステーキや伊勢海老クリームスープなどのフランス料理が味わえる。
ただ、その「名声」ほどの印象がない方もいるようだ。
料理はさすがに一級品ようだが、やっぱり田舎のホテルは、こんなものか、と納得してしまったというが。
高級ホテルのようなキメの細かいサービスをするのは簡単ではなさそうだ。
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風林火山 第3回「摩利支天の妻」
46作目のNHK大河ドラマ風林火山の主役は、内野聖陽が演じる山本勘助だ。
原作が井上靖の歴史小説。
1月21日放送の第3回は「摩利支天の妻」。
仕官がかなわずの山本勘助(内野聖陽)は再び甲斐国へ。
村娘・ミツ(貫地谷しほり)に再会。
ミツは妊娠していた。
勘助は「誰の子ともわからぬ」と冷たく突き放す。
いっぽうの武田家では嫡子・晴信(市川亀治郎)と当主・信虎(仲代達矢)との不仲が表面化し始めている。
ミツとの暮らしに安息を見出した勘助だが。
ある日、狩りに出かけた信虎が獲物を取れず苛立っている。
そこで、偶然居合わせた娘に矢を向ける。
その娘はミツだった・・・
山本 勘助(菅助)は明応2年(1493年)に生まれ、永禄4年9月10日(1561年10月18日)の川中島の戦いで戦死。
生没年は、『甲陽軍鑑』によると1493年〜1561年というが、生年は1500年説、1501年説もある。武田二十四将の一人で、 武田の5名臣の一人。
武田信玄の伝説的軍師として講談などで有名だが、近年の研究によると実際は武田軍の伝令将校とされる。
当て推量なことを「山勘」「ヤマカン」と言うが、山本勘助を略したという説(大言海、辞海)もあり。ただし、別説の「山師の勘」 (三省堂国語辞典)もある。
その勘助は色黒で容貌醜く、隻眼、身に無数の傷があり、足が不自由で、指もそろっていなかったようだ。
勘助は若い頃、駿河国主今川義元に仕官しようとするが、勘助の容姿を嫌い召抱えられなかった。
その後、勘助の兵法家としての名声は次第に諸国に聞こえるようになる。
武田家の重臣板垣信方は駿河国に城取り(築城術)に通じた牢人がいるとまだ若き甲斐国主武田晴信に勘助を推挙。
勘助は躑躅ヶ崎館で晴信と対面。さすが、晴信は勘助の才を見抜き知行200貫とした。
才能を見抜いた晴信は勘助と語り、その知識の深さに感心し、深く信頼する。
その才能を証明したのが、信濃国へ侵攻である。
ここで、九つの城を落とす大功を立てる。
天文15年(1546年)晴信は信濃国小県郡の村上義清の戸石城を攻める。
守りは固く武田勢は大損害。村上勢の追撃を受け、まさに全軍崩壊の危機。
晴信に願い、勘助は50騎で村上勢を陽動する作戦にでる。
この間に晴信は体勢を立て直しをはかり、武田勢は反撃に出て村上勢を打ち破ることができた。
勘助の「破軍建返し」と呼ばれる縦横無尽の活躍に、武田勢は「摩利支天」のようだと畏怖したとされる。
摩利支天(まりしてん)とは、武士の守り本尊とされ、護身・富裕・勝利などを祈る摩利支天法が修され、華上に座す尺女像、 猪(いのしし)に乗った三面八臂の像などがある。
では第3回「摩利支天の妻」をお楽しみに。
